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必要こそ発明の母なり・・・と言ったら、フランク・ザンボニー氏はその父親だったのかもしれません。 この疲れを知らない発明家そして企業家にとっては、何とかならないような障害はなかったのです。
1922年にフランク氏は弟のローレンスと一緒に、兄のジョージの営む自動車修理ビジネスに加わるため、南カリフォルニアへ引っ越してきました。 車をいじっていたのは少しの間で、二人の弟たちは近隣の乳製品業界向けの電気サービスビジネスを始めることを決断しました。 ザンボニー兄弟は、ミルクを冷やすための大きな冷凍ユニットを組立て設置しました。
需要が製造業界に伸び始めたとき、ザンボニー兄弟はビジネスの展望を広げ、卸業者が製品を全米に鉄道輸送する際に製品と一緒に詰める、ブロックアイスを製造するプラントを建設しました。 しかし冷凍技術の進歩に伴い、ブロックアイスの需要はかげりを見せ始めました。 フランクとローレンスは氷の経験を生かして資本とできるような方法を模索しました。
そして、アイススケートというスポーツに出会ったのです。 このスポーツの人気は上がる一方でしたが、南カリフォルニアにはスケートリンクは何カ所もありませんでした。 1939年に、フランクとローレンス、そしてその従兄弟は、パラマウントにアイスランド・スケートリンクを建設しました。 このリンクは、現在もザンボニー社工場から数ブロックのところで営業しています。実際、いまでもザンボニー社の試運転などがこのリンクで行われており、この近辺ではザンボニーが行動を走っている事を見かけることもあります。

カリフォルニア州パラマウント
アイスランド
1940にアイスランドがオープン。 このリンクは、アメリカ国内でも一番大きなスケートリンクのひとつで1,800m2の氷面積があります。 800人のスケーターが十分滑走できる大きさです。 元々のスケートリンクには屋根がありませんでした。 しかし、南カリフォルニアの強い日差しと砂漠のような乾いた風のなか、氷のコンディションは良好という状態からはほど遠い事にザンボニー兄弟は気づき、ドーム状の屋根で覆うことにしました。 そして、次なる挑戦は、この屋内リンクの氷質をいかに維持するかと言うことに移行していったのです。
当時は製氷と言えば、トラクターの後ろにスクレーパーを引っ張りながら氷を削る事でした。 そして、削られた氷を3〜4人でシャベルでかき出した後、全体に散水。 更に、水を押して余分な水を均して凍らせる・・・という、1時間以上もかかる作業工程を繰り返していました。 いかに良質の氷を短時間で作ることが出来るか? それは、フランクにとってはパズルを解くような問題でした。 まもなくフランクは、素早くそして効率よく製氷が出来るマシンの設計に取りかかりました。
・・・・・ザンボニーマシンのコンセプトはこのようにして生まれたのです。
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